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最初の一秒は、ちゃんと怖い
お客さんがカップを口に運ぶ瞬間、いつも少しだけ息を止めている。
今日のコーヒーは、ちゃんと出来ていたか。豆の引き方は。蒸らしの時間は。あの風が強かったから、温度が下がっていなかったか。
考え始めるとキリがない。だから、表情を読もうとして、でも読みすぎて、余計に緊張する。
一杯を渡す瞬間は、毎回ちゃんと怖い。それは今も変わっていない。

「美味しい」の重さはぜんぶ違う
一口飲んで「美味しい」と言ってくれる言葉には、それぞれの厚みがある。
サッと言い流す「おいしー」と、少し間があってからこぼれる「…美味しいですね」では、まるで違う。
後者は、飲んでいる時間のなかで何かが積み重なった結果だと思う。
だから、ゆっくり出てくる「美味しい」のほうが、心に残る。
「美味しい」は形よりも、そこにある実感のほうが大事なんだと思う。

素直に喜べない自分もいる
正直に言うと、「美味しい」と言われた時、最初に来るのは確認だ。
本当に? それとも、気をつかってくれただけ? 今日は調子よかった、それとも偶然?
これはたぶん、癖でもあるけれど、ある意味では正直な反応だと思っている。
ちゃんとしたものを出したい、という気持ちが、素直な喜びをすこし複雑にしてしまう。
でも、その複雑さこそが、次の一杯への燃料でもある。

それでも、続けている理由
怖くて、疑って、それでも毎週キッチンカーを走らせているのはなぜかと聞かれると、うまく答えられない。
ただ、「美味しかった」と言いながら去っていく人の背中を見るたびに、何かが補充される感覚がある。
空になりかけていたタンクに、すこしずつ入っていく感じ。それが続けられる理由のほとんどだと思う。
「美味しい」って言ってもらえることを、当たり前にしたくない。
一杯ごとに緊張して、一杯ごとに確かめて、それでもやっぱり、その言葉を待っている自分がいる。
そして今日もまた走り続けます。

自家焙煎コーヒーライフ/ライフさん
投稿日:火曜日&木曜日20時/ふとした時、会いに来てください。
